DiaryNoteを始める前の大会についてはこんな感じでした。

・1996年7月28日 スタンダード、草の根大会

東京で行われた草の根大会で公式戦デビュー

徹夜明けでシングルエリミネーションの大会。当然のごとく一没して帰宅。
使ったデッキは黒単か何かだったと思うが記憶にない。

・1996年12月21日 スタンダード、渋谷DCI、ファイナルズ予選

確かマナクリーチャー+Winter Orbの赤緑ロックで出た気がするが、残っているのは2-5という大敗だけ(汗)

・1997年5月18日 TYPE1.5、渋谷DCI

6人しか参加者がいなかったので5回戦総当たりとなった。
なぜか8人未満なのに公式戦として記録に残っている。
最後勝てば勝ち越しというところで、笹沼さんの瞬殺コンボに沈められて2-3。

・1997年5月31日 ウェザーライトプレリリース、渋谷DCI

シールド戦がトラウマになった原因。なんと脅威の全敗(6敗+1BYE)
当時はプレリリース前に全カードの情報が流れているわけではなかったので、ウェザーライトに関しては当日初めて見るカードばかり。
(条件は全員一緒なので言いわけにはならない。)
1回戦の対戦相手の方が私の引いた《中断/Abeyance》を見て、「このカードは絶対に値上がりする。トレードに出さず取っておいた方がいいですよ。」と教えてくれる。
後日実際にそうなってビックリ。

・1997年9月6日 エクステンデッド、渋谷DCI

最初期のエクステンデッド。ザ・ダークとリバイスド以降のカードが使用可能。
8人で総当たり7回戦。使ったデッキは赤黒の手札破壊/身代りバーン。
塚本氏、真木氏に立て続けに敗れるも、持ち直して3-3-1。

・1998年12月6日 エクステンデッド、渋谷DCI

この日をもって公式戦から引退。カードはマスクスまで買い続けるが、以降は公式ガイドでカードを眺めるのみの日が続く。

・2009年6月13日 レガシー、LMC千葉

赤単バーンで2-3とまあまあの成績を残す。
オサダロームにボコられて、この環境の厳しさを知る。
そういえば赤単を公式戦で使ったのはこれが初めてだった。今気付いた衝撃(汗)

・2009年6月28日 レガシー、AMC

AMCに初参戦。結果は2-4。
実は1回戦の相手がごーじゃー氏だった。今気付いた衝撃その2(汗)
そのほか、ちーちゃん、Sさん、だいすけさんと有名どころと当たっている。
ちーちゃんはベルチャーではなく同じ赤単バーンだったが撃ち負けた。

・2009年7月4日 レガシー、LMC代々木

初代々木。デッキはアンクバーン。
人生2度目の全敗(0-6)を味わいブルーに。

・2009年7月12日 M10プレリリース、LMC蘇我

初蘇我。歩くのが面倒だった記憶がある。
苦手のリミテッドで2-2。賞品の3-1まであと一歩だった。
2回戦の相手が三原氏。手つきから上級者だとは思っていたが、世界チャンプとしってびっくり。
その後、三田村氏にパックウォーズを挑み、あと一歩まで追い詰めるもトップデッキされて負け。
千葉の2大プロ相手と対戦した濃い1日だったが、ドラクエ9がやりたくて帰宅(汗)

・2009年8月9日 レガシー、夢屋

初夢屋。AMCがチーム戦だったので、その裏開催となる。
アンクバーンで1勝3敗という厳しい現実を見ることに。
アンクバーンを解体して純粋なバーンに戻すことにした。

・2009年8月23日 レガシー、LMC代々木

代々木で赤バーンを使用。
ここであぢおうさん、NATUさんを立て続けに破るも終わってみたら3-3。
なんでだろう。

・2009年9月5日 レガシー、LMC千葉

千葉で1-4-1。
ヘギーお兄さんと初顔合わせ。最下位卓でカウンターバーンについての夢を語り合う。
最近のヘギーさんしか知らない人は信じられないだろうけど、当時の彼は、私とあんまりレベルが変わらなかった。
その後半年間で、彼はミシュラ型カウンターバーンを完成。大型大会で上位入賞を繰り返すようになるが私は相変わらずであった。

・2009年10月3日 レガシー、LMC千葉

古のカウンターバーンを復活させてみるものの、デッキも中の人も10年前では勝てるはずもなく、5戦全敗。
この後、仕事が激化。体調を崩し一端離脱。

・2010年2月14日 レガシー、もっくん

第2回もっくんレガシーに参加。メタが読めなかったのでZooを持っていったが1-3。
後半も上あたりを繰り返す苦しい展開だったとは言え、ひどい結果に。
もっくんの中の人が常連客に貸したクレイドルウィニーに衝撃を受け、「もっくんではネタデッキを使おう」と決める。

・2010年4月10日 レガシー、もっくん

第3回もっくんレガシー。ザ・力線(力線+オパール色の輝きコンボ)で2-2。
なんでZooより成績が良かったのか謎。
エンチャントVSアーティファクト無限マナデッキの対戦はもっくん史上に残るネタ対決となった。

・2010年5月1日 レガシー、LMC千葉

久々に千葉に舞い戻る。
あぢおうさんのリアニ相手に、イオナ→赤、イオナ→赤と瞬殺されるも、彼が稼いでくれたオポネントで8位に滑り込み、シングルエリミネーションへ。
ANT相手に1没。その後のドラフト2回も1没。
負けた記憶しか残ってないが、LMCチャンピオンシップへの出場資格を得たらしい。

・2010年5月15日 レガシー、もっくん

第4回もっくんレガシー。S氏が以前AMCで上位入賞したステロイドに、血編みを入れて使用。
結果は1-3。血編みからの続唱で、極楽鳥が出た時は泣けました。

・2010年6月12日 レガシー、LMC千葉、GPTコロンバス

4回戦で超強化されたヘギーさんに当たって惨敗。
ヘギーさんに「良く勝ち上がってこれましたね」と感心された。
実は後で知ったのだが、私の直前の相手が日本選手権出場者のSさん(ランカーの方)だった。

>10-06-2273820, Grand Prix Colombus 2010 Trial - Japan: 2010-06-12 11
>5 一般の方 Loss 1527
>4 ヘギーさん Loss 1536
>3 Sさん Win 1543
>2 NATUさん Loss 1521
>1 だいすけさん Win 1526

K値24で、NATUさんに負けて5点減点された後、Sさんに勝って22点ドレイン。
そりゃバーン対ドラゴンストンピィじゃ、相性差にも程があるというものでしょう。

ちなみにヘギーさんはこの後優勝して3バイを得るが、私はドラフトを含めて全敗。
今の二人の差が良く表れた1日でした。

これ以降は過去の日記を見てね。

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